サラリーマンを辞めたいと思うようになったキッカケには大きく「ふたつ」あったと思います。
そのひとつ目。
私はシステムズエンジニア(SE)という仕事をしてきました。コンピュータソフトの開発や導入を提案・設計・開発・導入・運用する仕事です。おもに企業向けの社内システムをやっていました。
この業種は過酷な仕事だと言われています。キツい、過酷、暗い、帰れない・・・。よく「3K」だの「5K」だの「○K」と言われますが、○の数がどんどん増えているように思えます。(ちなみにバブルの頃には将来の花形職業だと言われ就職しましたw)
その「○K」の業種だからこそ、こころの病気にかかる人も多いのが現実です。
この業界では5%の社員が「鬱」で苦しんでいるという統計があります。
20人に1人。従業員100人の企業なら5人は鬱で苦しんでいるということになります。
私が勤めていた会社にも例外なく鬱の同僚がいました。
長い間一緒に仕事していた後輩も鬱になりました。
この後輩(立場的には部下)が苦しんでいるときに私はどう応対すればよいのか分からなかった、何もしてやるとこができなかった。
「○○してみたら?」という助言。「(気持ちを)切り替えて頑張ろう!」という言葉かけ。
そんなことしかできない自分と、症状が悪くなっていく同僚に、ただ時間だけが経つばかりでした。
また、半年間、長期出張という形で家族と離れて生活することもありました。
土日には自宅に帰って来られるものの、平日は深夜まで、突然出てくるお客様や元締めの会社の要望に時間的に計画もできることなく、昼夜なく仕事をしました。
平日の終業時間も自由にできず、唯一の楽しみの金曜日夜の家族の元への帰宅についても、現場から逃げるように離れ、日曜日の夜には宿泊先に戻るという生活が続きました。金曜日の夕方に土日の仕事をふられ帰れなくなる週末もありましたし、金曜日の夕方に帰っても深夜に電話がかかってきて、土曜日に現場に戻ることもありました。
肉体的にキツい日々でしたし、ストレス、プレッシャーなど精神的にも本当に辛い日々でした。
宿泊先のベッドから起き上がれず休んだこともありました(ベッドに入っても仕事の夢ばかり見てましたし、ストレスからくる心身症だったのでしょう)。
同時期に長男の不登校が始まり、家族全員が苦しい時期でもありました。
年齢的には40代半ばになり、社内での地位もある程度上がりました。しかし、
- 「これからもこのようなことを続けて行くのか?」
- 「この役職が本当にやりたいことなのか?」
そんな思いもつのっていきました。
そんなときの私のこころに引っかかったのが、以前から気になっていたメンタルヘルス(心理学)。
ストレス、鬱、不登校。
それらの悩みを解決できるのではないかと叩いたこの門が、この先の私の生き方に影響を与えました。
その続きはまた別の機会で・・・
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